空間

善隣は、とても小さい幼稚園です。
ここに来た当初は、この狭さに驚きました。
「さすが東京だね。満員電車に揺れる練習をこどもの時からやってるんだよ。」
主人はそう言って納得していました。
そうです。愛知のひろーい所から来たわたしたちからすると、
こどもひとりが自由にできる空間が、とても狭いのは、
人と人との距離がとても近い、ということで、
それなりに、意味のあることではないか、と思うようになりました。

実際、園庭では白線で描いた道路を車が走り、
その脇ではおうちごっこや、レストランごっこが始まっていて、
そこここでしゃがみこんで、どろだんごに熱中している人たちもいて、
鉄棒や太鼓橋には、技の練習で何人もぶらさがっていて、
砂場では、溝を掘って水を流すために水くみに行ったり来たりする人たちがいて・・・・
これに、滑り台とブランコを基地にしたどろけいが始まると、
テラスを開放して、どろけいはテラスにいこう!と、なるわけです。
とにかく、ジグゾーパズルのように、庭の空間をみんなで分け合って遊んでいます。
これを制限と取るか、我慢と取るか・・・・
でも、こどもたちの表情は、とてもいきいきとしているのです。
「今、いろんな遊びをしてるでしょう。だから、どろどろは、ここだけにしようね。」
とか、「道路は、これくらいなら大丈夫かな。」などと話し合いながら、
折り合いを付けることもありますが、
こどもたちは、自分がしたい遊びをするためには、
他の人の遊びも尊重しなければならないことを 肌で学んでいくようです。
それでも、遊具の取り合いや仲間に入れてもらえなくて泣き出す、とかはもちろんありますが、
必要に応じてわたしたちも手助けしながら、
うまい人間関係を作っていく過程をまじかで見たり、感じたりしていることも、
狭い空間で生活している利点かな、と思います。
そう言えば、昔の庶民は狭い家に大家族が暮らしながら、
折り合いをつけたり、助け合い、分け合いながらたくましく成長していったのでしょうから、
「大きな家族」のような、小さく温かい社会である善隣が、
みんなで肩を寄せ合って生活しているのは、とても自然なことだなあ、と思っています。

室内でもまた、空間を分け合う工夫が必要で、
ホールでは、毎日違った形のおうちごっこが繰り広げられ、
それとぶつからないように、ブロックの電車が走り回り、
箱積み木の駅が作られていきます。
階段をお城に見立てて、下の方にお姫様が横たわっていたり、
玄関でも、おうちごっこやくるまやさんごっこでわいわいしていたりします。
保育室には、製作を楽しむコーナーを作っていますが、
そのすみっこで「こまやさん」と称して、
折り紙で作った複雑なこま(わたしは作れません)を売るお店を準備している人たちがいました。
「こっちでやれば広いよ。」と誘うと、
「ここがいい。」と、かおちゃん、ちーちゃん、みーちゃん。
そこでわたしも入ってみると、確かに居心地がいいのでした。
いすとタオル賭けに囲まれた狭い空間が、互いの親密さを高めているのかもしれません。

幼稚園時代にたくさん遊び、たくさんぶつかり合い、
一緒にたくさん経験しながら、その空間をいかにお互いの良い場所としていくかを
学んでいくように思います。



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[ 2012/11/17 15:37 ] 保育 | TB(-) | CM(-)