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ちひろ美術館にて

下石神井のちひろ美術館に行ってきました。
ちょっと遠いけど、おすすめです。
絵本を読めるスペースや、ねっころがったり、おもちゃで遊べるお部屋もあるので、
こどもと一緒に訪れるのもいいでしょう。
でも、本当は、こんな所で、お母さんにひとり静かに、
自分の時間を持って欲しいな、と思います。

ご存知、いわさきちひろさんの絵は、こどもが多く描かれていますよね。
ほっぺのふくらみやほつれた髪の毛、小さな肩やぷくっとした指。
どこを取ってもかわいらしいこどもそのものを描いていて、
見飽きることがありません。
でも、一番こどもらしいな、と思うところは、口が笑っていないところだと思います。
イラストにすると、ついつい、ニーっと笑顔にしてしまうこどもの顔ですが、
一生懸命遊んだり、考えたりしている時、こどもの表情には力が入るのか、
口は、キュッとつむっていることが多いように思います。
それで、日頃から思うのは、
時々、「どうだった?」と、おとなが感想を聞くと、
「たのしかった。」と、こどもは答えるようにしているようですが、
わたしは、正直、がっかりするのです。
その一言では表せないような驚きや感動を本当は、味わっているはずなのに。
いや、味わわせてあげるべきなのに、と思うから。

ちひろさんの表現する、複雑に、でも美しく混ざり合った色の重なりのように、
こどもの心の中は、複雑で美しく、
説明するよりも、心と心で感じ合う方が確かな気がします。

さて、そんなちひろさんの絵に囲まれて、
わたしの感性も、少しは研ぎ澄まされていったのですが、
すると、あまりにお行儀の良いこどもたちの動きや服装に、
窮屈な感じを覚えるようになってきました。
こどもは、もっと汚いぞー、もっと大胆だぞー、と思いながら鑑賞していました。
でも、ちひろさんがこう書いていらっしゃいます。
 「ドロンコになって遊んでいる子どもの姿が描けなければ、ほんとうにリアルな絵では
  ないかもしれない。その点、私の描く子どもは、いつも、夢のようなあまさが、
  ただようのです。
  実際、私には、どんなにどろだらけの子どもでも、ボロをまとっている子どもでも、
  夢をもった美しい子どもに、みえてしまうのです。」1963年

ちひろさんは、ご自分のお子さんを けっして叱らない、
「うしおのように流れ出す愛情」で育てられたようです。
ご自分では、
「この育て方では、教育学者からは、ぜったいにあきれかえられる。
 また、この教育絵本の主旨にも反する。」1958年
と、書いておられますが、現代の教育学者からは、評価されると思います。


暑い暑い日差しの中を 日傘片手に訪ねたちひろ美術館で、
わたしは、心地よい涼しさを体と心にいただきました。
スプリンクラーが水を飛ばす中庭で、小さな虹もみつけました。
ばらのシフォンケーキとコーヒーで、鼻からも口からも癒されました。
ちひろさんの描く、力に満ちたこどもたちの表情に励まされ、
お母さんの胸に抱かれる安心しきったこどもの絵に涙しました。
そして、もうひとつ、紹介したいちひろさんのコメントがあります。
 「子どもをすごくかわいがっている聖母みたいに考えられるんですが、
  そうじゃなくて、もっと体質的なものなんです。
  描くと子どものものを描いちゃう・・・・。
  おかしいんですけど、子どもを描いていると、自分の小さいときのことを
  自分で描いているという感じがします。」
        (「教育評論」1972年11月号掲載の対談より)

思わずメモしたコメントです。
同感!
わたしもこどもが、どうしても気になってしまうのですが、
もちろんそれは、かわいいとか、好きという気持ちに間違いはないのですが、
根本的に、かつてわたしにあったもの、そして、忘れたくないものを
すべてのこどもたちの姿に、追っているように思います。


この心地よい空間にまた来たいな、
そう思いながら、閉館ぎりぎりまでいたのでした。
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[ 2012/08/25 17:20 ] わたし | TB(-) | CM(-)


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