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変わることと変わらないこと

幼稚園のインターホンが鳴って出てみると、
そこにはどこかで見た顔が。
「直子先生、わかりますか?」「えっとー・・・」
それは、高校2年生になった卒園生の女の子でした。
年中で転園し、しばらく離れていましたが、
数年前に近くに戻って来ていたとのこと。
少し勇気を出して、なつかしい善隣を尋ねてくれたのでした。
おもしろくて、活発だったあの頃の彼女と、
目の前に立っている、美しくて利発な彼女が重なって、
本当にうれしい再会となりました。

室内を案内して、職員室で先生たちとお茶をしました。
「先生のお部屋に入れるなんて・・・!
 わたしがけがをした時、藤本先生がすごく心配して、
 ベッドに寝かせてくれたんです。」
卒園生の話は、こどもの目から見た幼稚園ですから、
とても新鮮でした。
「幼稚園が変わってなくてよかったあ。
 でも、一番変わってなかったのは直子先生だった。」
今度は、母と来ます、そう言って元気に帰っていきました。

彼女が園を去って11年。
わたしも順調に年を重ねているのですが、
「直子先生、変わってなーい。」と言ってもらうと、やっぱりうれしい!
でも、実は大きく変わったのです。
保育のことを何も知らなかった当時。
目の前で巻き起こるこどもとおとなのドラマに、
なぜ?どうして?わたしならどうする?と、
ノートに書き連ねながら、一生懸命に考え、学びました。
失敗をたくさんしました。
こどものおもしろさに魅かれていきました。
そして、わたしが善隣で保育をさせてもらうことを召命と、感じるに至ったのです。
ですから、わたしは大きく変わったのです。

それから、善隣の保育も大きく変わったはずです。
園長が変わったのですから。
わたしの成長とともに、善隣も成長し続けているのです。


さて、高校2年生の卒園生との再会の数日前、
わたしは、お二人そろって卒園生と、おっしゃる老夫婦にお会いしました。
ひさしぶりの等々力を散策されていた途中に、
なつかしい善隣の前を通りかかられ、掲示板を見ておられたので、
わたしは、お孫さんのために関心をもっておられるのかな、と思って
声をかけたのでした。
「変わってないわ。・・・うれしい。・・・」
でも、当時の園舎は木造で、見た目は変わっているはずなのです。
ただ、園庭と、そこに植わっている昔は小さかった木々の雰囲気は、
変わっていなかったことでしょう。
そして、何よりも、同じ場所にあり続けることが、
変わらないことなのだ、と思わされました。


週末、小学校の運動会を卒園生を応援するために回りました。4つも!
卒園したばかりの1年生とじゃれあっていると、
「直子先生・・・」と、ぼそっと声をかけてきた中2の男子。
「直子先生!!!」と、抱きつかんばかりの勢いで声をかけてくれた高1の女子。
こちらからは、あの小さかったあの子だとは気がつかないくらい成長していました。
「もう知ってる先生は、直子先生だけだあ。」
「園長になったんだよ。」
「ふーん。」
「いつでも遊びにきてね!」
「いくいくいくいく!」
あーー、ずっといてよかった。
こどもたちの成長をこうやって目にすることができるのも、
変わらずに居続けることができたからです。
自分自身が少しずつ変えられたからこそ、居続けることができたからだと思います。

かみさまのご計画の中で、変わるべきことと変わらないことが、
人と人との関わりを広げ、豊かにします。
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[ 2013/05/26 23:03 ] わたし | TB(-) | CM(-)

「ごめんなさい。」

青空の下で過ごせた幸いな一週間。
絵の具の色水遊びから『ジュースやさんごっこ』が始まったり、
泥遊びに今まで関心を示さなかった人も泥水の中に座り込んで、
連日、仲間と一緒にどろにんげんになって楽しんだりしていました。
もちろん、いつも通りの一人一人の遊びはそれぞれ展開していますから、
年度初めのこの時期は、あっちでもこっちでも、
「せんせーい!!」「なおこせんせーい!!」「なおこせんせーい!みてー!」
と、アピールする声が飛び交っています。
「なんとわたしは手の掛かる保育をしてるんだろう・・・先生たち、よく付いてきてくれてるなあ。」
くたくたになりながら、感謝とともに、これでいいんだ・・・と、
確信を新たにしながら、こどもたちと過ごしました。

だって初めは、何でも手が掛かるのだから。
自立に向かって自分のやってみたいことに挑戦し、
上手くいかなくて助けてもらったり、
上手くできたことをほめてもらい、
友達と遊ぶ時は気持ちを代弁してもらい・・・・・
効率を求めるのではなく、一人一人の今の思いを丁寧に受け取ることが、
大切なのだと思います。


さて、その日もようやく遊びのリズムができて、
わたしは、園庭のあちこちに目を配りながらも
大縄を回してあげることに専念していました。
そして、そろそろ片付けをしよう、と声をかけ、大縄を片付けました。
それから砂場に近づいた時、わたしの目に飛び込んできたのは、
根こそぎ抜かれてころがっているインパチェンスの苗でした。
2週間前に花壇に12株植えて、日に日にきれいに咲き乱れるようになったインパチェンス。
「ああ・・・かわいそう・・・ええ!!・・・どうしてえ・・・」
そんなことを言ったでしょうか。
散らかった苗の横には、だんご虫を入れた容器を大事に抱えて、
ご満悦の6人のこどもたちが座り込んでいました。
「Aはやってないよ。」
ひとりの女の子がすかさず言いましたが、他の人は知らん顔。
「やってしまった、と思った人は、自分でごめんね、て言えると思うよ。」
すると、Bくんだけが「ごめんなさい。」とボソボソっと言いました。
でも、やっと自分たちでだんご虫を獲得した満足感が大きいのか、
だれも、そこらじゅうにちらかった花びらは目に入っていないようでした。
確かに、前日もその日の朝も、
「なおこせんせい、だんご虫とって。」と、助けを求めていた彼らでした。
それが、30ぴきはいようか、というほどの
うじゃうじゃのだんご虫を自分たちで獲得したのですから。

わたしは、いくつかの形の残っている苗を花壇に戻してから、
「すごいだんご虫だね。根っこのところにいたの?」
と、聞いてみました。
「うん。」
「お花もだんご虫も生きてるから、だんご虫を育てたい?」
「うん。」
「じゃあ、もっと大きい入れ物に入れてあげないと、
 ほら、上にのっかってけんかになるんじゃない?」
「うん。」
CD-Rの丸いケースにいれたうじゃうじゃのだんご虫を一緒にのぞきこみながら、
わたしは半ば強引に話を進め、教材庫から大きめのケースを取ってきました。
そして、さっさと花壇の土や草や枯葉を一緒に入れ、
30匹のだんご虫をザーッと入れました。
だんご虫も彼らもいっきに、生き生きとし始めました。


さて、後になってわたしは考えました。
「素直に『ごめんなさい』と言えるといいな。」とぐらい、
あのこどもたちに迫るべきだったかなあ・・・と。
そうしたら、お花のいのちを大切にすることや、
それを植えた人の気持ちに気づくことができたでしょうか。
できたかもしれませんが、多分、こういう時は「ごめんなさい」と言うものだ、
と学ぶくらいなのかなあ、とも思いました。
だから、自分で考えて、自分の言葉で、やりすぎてしまったことを反省するのでなければ、
意味がない、と思いました。
それよりも、お花の根っこのところにはだんご虫がたくさん住んでいることに驚き、
捕っただんご虫を育てるために、同じような家を作ってあげたい、と思うことの方が、
今は大切なのではないかと思いました。

翌日も彼らは、ケースのだんご虫をかわいがっていました。
今度は、園庭の真ん中でケースの上の方まで土を入れて、
重そうに2人ではこんでいました。
[ 2013/05/19 00:39 ] 保育 | TB(-) | CM(-)


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