月別アーカイブ  [ 2011年08月 ] 

石巻に行って

15日から19日まで、石巻にボランティアに行くことができました。
『お茶っこはうすオアシス』と言う、ボランティアの拠点となる施設に滞在させていただきました。
物資の必要などが一応満たされてきた今、
被災者おひとりおひとりの心の痛みや課題は異なっているそうです。
だからこそ、おひとりおひとりのお声に耳を傾け、心に寄り添うことが求められています。
そのための場所として、開かれたのがこの『お茶っこはうす』でした。

「よく来られました。お茶をどうぞ。」
まず、わたしたちがもてなしていただいて、椅子に腰掛けると、
ウワー、とハエがたかりました。
昔、おばあちゃんのうちで見た、ハエ採りリボンや食べ物の上にかける蚊帳が用意されていました。
震災後、大量のヘドロやゴミと共に、大量のハエが発生していたのでした。

翌日、石巻市内や女川町を案内していただきました。
横倒しになった大きなビル。
撤去されて、区画だけが残った町。
山のように積み上げられた故障車やがれき。
骨組みだけになった建物。
冠水している道路・・・・・・・・

中でも、真っ黒に焼け焦げた門脇小学校の前に立った時は、胸がつまりました。
本当なら、絶えずこどもたちの声が響くグランド。
遅くまで、電気のついている職員室。
こどもたちの活気の溢れる教室。
それらすべてが今はなく、シーンと静まりかえっていました。
幸い、当時こどももおとなも裏の山に避難できたそうですが、
こんなに恐ろしい出来事を だれも避けることはできなかったのです。

わたしは、強く思いました。
今、許されている時に、こどもたちが思いっきり遊び、学べるために尽くそうと。

また、溝の泥だしもお手伝いさせていただきました。
重いふたを開けて、30センチもたまった泥をすくい上げ、
袋に詰めていく作業は、テレビで見ていただけではわからなかった障害もあり、
とても時間と労力のいる仕事でした。

『お茶っこはうす』に待機して、道ゆく方に声をかけ、
お茶を飲んで、一息ついていただきながら、おはなしを伺うこともできました。
お優しいおばあさんは、あの日、不思議な導きで守られた様子をおはなしくださいました。
そして、ボランティアの人たちが、助けてくれたことを
何度も何度も感謝されました。
何かお手伝いできることがあれば教えて欲しい、とお願いすると、
遠慮がちに、ベランダにたまった埃をきれいにして欲しい、と言ってくださいました。

不自由な生活の中でも、その痛みをなかなか言葉にされない方々。
ボランティアにたいしても、恐縮される方々。
それこそ、心に大きな負担を負っておられることが想像されます。
でも、わたしたち、被災からまぬがれた者は、苦しんでおられる方々のお役に立つことが出来るなら、
それは、心からの喜びとなることを感じることができました。


今回、わずかですがボランティアをさせていただいて感じました。
ボランティアは、ひとりではできません。
目的を同じくする人たちと協力をして、小さなはたらきを繋いでいきます。
また、誰かのお役に立てる喜びがあります。
ですから、ボランティアは、与える以上に受け取る祝福が大きい、と改めて思いました。

さて、今週は夏季保育。
こどもたちが幼稚園に戻ってきます。
お母さんたちとの子育てが始まります。
お互いにできることを喜んでするときに、その喜びは、何倍にもふくらむことでしょう。
すがすがしい喜びにあふれた再会となることを 期待しています。


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[ 2011/08/21 20:59 ] わたし | TB(-) | CM(-)

夏休み

長い夏休み。
こどもたちは、楽しく過ごしているでしょうか。
お母さんたちは、お元気でしょうか。・・・・ちょっと心配・・・・・

わたしは元気ですよ。静かにね。
たくさん遊んでたくさん勉強しています。

まず、例年通り全日本私立幼稚園連合会の研修に先生たちと参加しました。
それから、りんごの木の研修にも参加しました。
レッジョ・エミリアの展覧会に行きました。
軽井沢の絵本の森美術館にも行ったし、
広島では、ディック・ブルーナの展覧会にも行きました。
やっぱり、すべてこどもつながり。(芸がない、と言わないで)
その間に、本を10冊読みました。

毎年、夏ごとに思い巡らすキーワードがあるのですが、
今年のそれは、『本音』。
『あるがままの姿から、ありたい姿へ』と、わたしなりの保育観を言葉にして、やってきたつもりでしたが、
こどもたちも、わたしも、『あるがまま=本音』 の生活をしていただろうか、
と大きな問いを突きつけられたのでした。

そもそも、人が本音で生活するとまとまらないですよね。
無秩序、混沌、バラバラ、ガチャガチャ、大騒ぎ!!!!!!!!!!
自分の本音を出しっぱなしにするとそうなっても無理はないのですが、
相手の本音も理解して、お互いを尊重する良い感性を持っていれば、
誰もが生かされる、本当に平和で麗しい世界になるのではないでしょうか。

わたしは、こどもの時のこそ、本音で、つまり自分らしく行動し、
自分の言葉を持つことがとても大切だ、と改めて思わされました。
本音と本音が混ざり合い、ぶつかり合い、困ってしまいながら、悩みながら、
真剣に考え、自分の気持ちを何とか言葉にしようとする時、
相手の気持ちに気づいていくのだと思うのです。
そして、ゆっくりゆっくりと良い感性がそだっていくのだと思います。
時間をかけて・・・・・・・

ところが、わたしたちはすぐに結果を出したがります。
「成長しましたねえ。」と、すぐにお母さんに伝えたくなるのです。
「あ~あ~このままでどうなるのお~」と、不安で、もやもやした状態でいることに耐えられないのです。
「ちょっとまってよう・・・かならずせいちょうするんだから・・・せいちょうしたいんだから・・・」
こどもたちの声が聞こえてくるようです。

話は変わりますが、ゆうべ夜中に帰省先の広島から帰ってきました。
いつものように両親と取り留めもなくたくさん話したのですが、
わたしは、おとなになってからも、いろんな経験をしながら、
ゆっくりゆっくりと成長させられているなあ、とつくづく思いました。
けっして、親から答えが与えられたから成長できたのではない、と思うのです。
もちろん、おとなですから言葉をもっているので、アドバイスを受けることはありますが、
結論は、時が満ちるとともに、自分で見つけるしかありません。
それだけに、よく忍耐をもってわたしを見守り続けてくれているなあ、と両親に感謝しました。

さて、小さなこどもも同じ。
結論は、時が満ちるとともに、自分で見つけるしかありません。
いや、本当はわたしたちおとなよりも成長する力をすでに持っているこどもたちですから、
アドバイスすら必要ないのです。
必要なのは、『本音』で遊べ、『本音』で語れる良い環境と良い仲間。
その、感性ゆたかな良い仲間に、わたしたち保育者もなろう!
それが、この夏休みのわたしの決意です。

来週は、ボランティアで仙台に行ってきます。
この体で、少しでも被災地の痛みや課題を感じ取らせていただき、
持ち帰って、今後何をすべきかを考えていきたいと思います。
[ 2011/08/12 16:44 ] わたし | TB(-) | CM(-)